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20代後半独身男。軽いうつ病&SADによる休養を終えて無事に転職成功。その後の生活+愛犬「あんこ」の話。
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独女こと我が妹君、またまた悪い病気が再発。
その名も「ダイエット症候群」。

今度はエクササイズ・マシーン「パワー・ボクシング」に目を付けた。
1ヵ月前から買いたい買いたいと言ってはいたのだが、値段が3万もする上に、飽きっぽい性格なので家族全員で反対していた。
しかし、本日、急にいなくなったかと思っていたら、初売りそのマシーンをちゃっかり買い込んできた・・・家族は全員しらけムード。

ボクシングとは言え、直接ボクシングをする訳ではなく、テレビに的の映像が出て、それに向かって専用のグローブで腕を振るらしい。

まぁ、すぐ飽きるのは明らかだが、自分のお金なのだし、僕に迷惑が掛かるものでもないからいいやなどと思っていれば、そうでもないことがすぐ判明。
自室に持ち込んだ「パワー・ボクシング」。
妹の部屋の下は僕の部屋。
妹がしこを踏み+張り手の練習をする度に、僕の部屋では震度2の地震が発生。
煩いし、天井からほこりが舞い落ちてくるしでその日のうちに被害に遭ってしまった。
文句を言っても、「妹が美しくなるためよ!!協力して!!」で終わり。
どうしてウチの女どもはこうもゴーイング・マイウェイなのだろうか?
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昨日の疲れのせいか、皆グッタリしており、朝食は11時。

その後、毎年恒例の塩竃神社に初詣に行く。
2日目のせいか、人通りも少なくすんなりお参りが終了。
ちなみに、神社で引いたおみくじは「末吉」。
内容は何事もあせらず、じっくりと物事をすすめなさいとのこと。
今の僕にピッタリなお言葉。
ありがたや。

夜、今日帰る弟の為に聘珍樓仙台店で外食。
横浜の聘珍樓は横浜店とは違い、店内がリッチ調でいつもくると緊張してしまう。
ソムリエなんかも付いたりするし。

予約していた部屋は南東の角部屋。
部屋代だけで数万取られる超リッチな個室。
ここは31Fで、仙台市内の夜景を見ながらの食事できるのだからそれでけの価値があるのだろう。
食事はコース料理で8品ぐらいでてきたと思う。
料理良し、酒良しで弟も満足していた。
そりゃあそうだろうね、会計見てたけど5名で9万円ですもの。
おまけで付いていった僕もご相伴にあずかり、ありがたや、ありがたや。

それから弟を駅まで見送りタクシーで帰宅。
今日も満ち足りた1日でしたっと。

↓聘珍樓からの仙台の夜景
毎年不思議な気持ちにさせられるのだが、1日違うだけでガラリと変化する元旦の朝。
今年はいいことが多い年でありますようにと仏壇と神棚に祈りつつ慌しい一日が始まった。

午前中は近い親戚(叔母と従弟)と帰省した弟の8人でおせち料理を食べたが、いつのもの年に比べ、結構盛り上がる。

その後、うちの兄弟+従弟でボーリングをしに行く。
数年ぶりにやったせいか、1回目、2回目と100を超えず、隣のお嬢ちゃん、お坊ちゃん達と同等の成績・・・我ながら顔が赤くなってしまう。
従弟に「年だね。」なんて言われ、ブスリと心に傷を負いながらも老体に鞭を打ち年長者のプライドを賭け3回目に挑戦。
なんとか130という数字を出し、1位に輝き面目を保つことができた。

午後、親戚総勢10人が一度に来襲。
一家総出でご接待。
おこちゃま軍団に菓子とジュースを出し、話しをしながら酒を注ぎつつ数時間が過ぎる。

しかし、その時ハプニングというか、事件が起こる。
叔母が一緒に連れてきた愛犬「なな」が失踪。
僕、叔母、弟、従弟の4人が宴会を抜け出し探しに行く。
いったい何キロ走ったのだろう?
行きかう人にも聞いたりもしたが見つからず、ヘロヘロになって一度家に戻る。
そうすると、ちょうど母親の携帯に弟から連絡が入り見つけたとの知らせが。
弟が「なな」を抱いて戻ってきたのはそれからしばらくしてから。
市内でも有数の交通量が多い国道を越えて彷徨っているところを見つけたとのこと。
元旦だから車の数も少なかったことが幸いしたのだと思う。
パニック状態の叔母も泣きながら喜び、皆一安心。
しかし、今度は従弟が探しに行ったまま帰ってこない。
携帯も家に置きっぱなし。
仕方なく、僕が自転車で町内中を探し回ることになる。
ボロ自転車に乗り方々を探すが見つからず。
体力が限界になり、家に戻るとちょうど家に前で従弟に遭遇。
このやろうと思いつつも、そんな元気があるはずもなく家の中へ。
だが、親戚軍団の宴会はまだ続いており、またも接待役に・・・早く帰ってくれ~。

夜は朝のメンバーでおでんを突付きながら今日の出来事を振り返りつつ楽しく会話が進む。
この数年で一番騒々しいかったが、楽しい元旦でもあった。
とうとう12月31日。
今年最期の日となった。
今年を振り返ると、自分にとっては2つの出来事がこの1年の大部分を占めていたような気がする。

一つは、病気になったこと。
昨年の末の友人の結婚式で、二次会の挨拶を急に頼まれた際、頭に真っ白になり、手足が震えだし、何も語れず大恥をかいたことがきっかけで、SADであることを認識した。
しかし、「精神科」という不気味な世界に足を入れることに躊躇し、やっと診察に行ったのが3月の中旬。
その頃、就職活動がスムーズにいかず、ストレスを溜めてしまったことにより、SADから軽いうつ病も発病、5月には精神がどん底状態にまで陥り、親不孝なしてはいけない行為をすることをよく考えていた。

そんな中、登場したのが我が愛犬「あんこ」ちゃん。
きっかけは、何かを心の支えにしなければ生きることさえ困難な状態を打破してくれると思ったからで、僕は犬を選んだ。
時間も苦労も、人間とは比べ物にはならないが、それでも命を育てるという行為は、その頃の僕にはとても新鮮で、時間も忘れ必死に取り組んだ。

病院もよく話しを聞いてくれる先生の所に変え、「あんこ」も四苦八苦はしたものの順調に成長してくれ、僕の心に安定をもたらしてくれた。

最近は、病状が酷い時には考えもしなかった社会に対する考え方、今までの自分、これからの自分についてよく考えるようになり、この1年が辛いものではあったが、自分がこの先生きていく上で物事に対する価値観を変えてくれる重要な年であったとも思えるようになった。

来年、自分にどんな出来事が待っているのか不安ではあるが、反対に待ち遠しくもある。
少しは勇気がついてきたようだ。
「頑張る」「頑張れ」という言葉は大嫌いだが、自分の力の限り努力はしていこうと思う。
やっと年賀状を作り終え、ポストへ投函した。
いつもの年ならば、25日前には必ず終えている作業なのだが、今年は億劫で、ずいぶん遅れてしまった。

理由は、年相応に人生を歩いている友人たちと自分を比べ、コンプレックスを持っているからなんだろうかと自己分析。
年賀状を出すときには、必ず手書きでメッセージを書くのだが、その言葉もなかなか思いつかず、自分の近況報告など全く書けなかった。

しかし、地元にあまり友人がいない分、全国に散らばっている多くの友人に出す年賀状は大切な繋がり。
今年は出さないかとも思ったが、そう思うと億劫でも作る元気が出てきた。
作ると言っても、会社関係なしのの20通ほどの枚数。
妹など50通も作っていた。
僕の年だと、いったいどれくらいの数の年賀状を出すのだろう?

来年は自分の近況も伝えられたらな、なんて思う。
そろそろ来ると思っていた一昨日の面接結果が郵送で送られてきた。

分厚い封筒・・・転職活動をした人ならこれを見ただけで結果がわかると思う。
履歴書ほか応募書類全てが同封されて返送されてくるから。
つまり、不採用。
今回の応募は今までの中で一番真剣だっただけに、正直とても辛い。

家族も何か妙に優しく、家でじっとしていると落ちたことに囚われてしまいそうなので、外出することにする。
ツタヤで時間を潰し、荒治療とばかりにハローワークでまた新たな応募先があるか行ってもみた。
けど、やはり辛さは変わらない。

自分で選んだことで後悔はしてないとはいえ、転職活動ってほんと、過酷。
先日、書類選考が通った会社の面接に行ってきた。
緊張しなくなったとは言いつつも、やっぱり前夜眠れず、やっと寝れたのが4時で起きたのは10時。
午後に面接で助かった。

面接官は8人。
今までの面接の中で最高人数。
椅子にずらりと重役風の人達に並ばれると、並々ならぬ迫力がある。

着席後、すぐさま主面接官と思われる人が質問としてくる。
頭半分まっ白ながらに、普通に答えていく。
前職での仕事内容。
退職理由。
志望動機。
パソコン技能に関すること。
自分の職業観について。
自分の長所、短所。
これらを答えた直後に、事務員が主面接官に時間だと告げて終了となった。

約30分。
今までの面接した中ではかなり短い。
最低でも1時間だったし、最高では2時間も面接していたこともある。
面接しても無駄という理由で終わったのではなく、時間制限があったので終わったのだと思いたい。
僕が面接室を出た直後、次の人が入ってきたし。

面接では、上手く答えた気もしないが、下手だったとも思えない。
今までの経験上、面接官と上手く話せても駄目な時は駄目だし、絶対無理だと思っても受かる時もあるので、僕からは結果について全く予想がつかない。
後は通知を待つのみ。
これがまた、辛い。
夜、所用の帰りに叔母の家に寄る。
ちょうど従弟も帰って来て、久しぶりに談笑することとなった。

従弟は5歳違いなのだが、叔母の仕事の関係で小学生まではほとんど我が家で預かっていたので、ほとんど兄弟のような間柄。
ただ、ひょうきんで面白い性格だった従弟が、中学生を境に180度性格が逆転。
暗くて無表情、無気力な人間に変わってしまい、何を考えているのかも分からなくなってしまった。

そうして現在までまできたわけなのだが、今回はちょっと驚くべき出来事があった。
叔母を交えて談笑しているうちに、急に自分の子供時代から現在までの自分の押し隠してきて気持ちを打ち明け始めたのだ。
親の叔母さえ何を考えているのか分からない従弟が急にそんな話をし始めるものだから、2人ともビックリ。
詳しくは書かないが、父親は小学生低学年時に亡くなり、母子2人で暮らしてきたが、その中にもいろんな苦しみや葛藤を子供ながらに持っていたらしい。
ただ、叔母を否定するような話はなかった。

普段、親子間の会話が少ないのが、僕が行くと3人で長い時間いろんな会話が弾むので、ちょくちょく来てくれとは叔母から頼まれて行っていたのだが、従弟も僕にそんな重い話をしてくれるということは少しは心を許してくれているのかもしれない。
そう思うと、少し自分の存在に意義があると感じられ、僕も救われる。

従弟が急に頑なに閉じ込めていた自分の思いの一部を開放し始めた理由は、ずっと取得するために頑張っていた資格が取れたことが大きそうだ。
きっと、自分に自信が付き、前向きに考えられるようになったのだと思う。
良かった、良かった。
我が家の独女こと妹さまが購入した車がついにきた。
その名も、マツダの「ベリーサ」。
ちなみに色は白。

ほとんど衝動買いだったにも関わらず、本人は全然後悔はしていない様子。
郊外のホームセンターまで買い物ほか用事でいろいろ試運転を兼ねて運転したのだが、車に戻るたびに、「なんて私のベリーサって、可愛くてかっこいいの~!!きゃ~!!」の連発。
同乗者は皆、まるでコメディドラマを見ているようなこのアホ娘の発言に終始無言。

でも、思い返してみれば、僕も自分の車を買った当初、同じことをしていたような気がする・・・やはり、同じバカの血がそうさせるのか・・・。
この1週間、在宅アルバイト中。
アルバイトと言っても、家業の手伝いをしているだけだし、バイト料もでるわけでもない。
バイト料=生活費って感じ。

ただ、バイトと言ってもそれなりのレベルでやっている自負がある。
知能労働だし。
ご家族の方、それなりに評価してください。

締め切りは25日と言われているので、頑張って早く終らさねば!!
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